『Summer vacation Quartet』 #01 *天ヶ瀬あかね編
#01/マシュマロと人間魚雷と似た者同士
――#01
「ほいよ、姫!」
「だーーーらっしゃーーーい!!!」
和泉の投げたコーラの缶を空中で受け取りながら、金髪のツインテールを閃かせるハーフの美少女こと雨宮シエルは、そのしなやかな肢体を豪快に使いジャンピングニーを繰り出した。
「おっとぉ!!」
「な、避けただと!?」
そんな目に留まらぬ早業を紙一重で避けた和泉が不敵な笑みを浮かべる。
「もはや見切ってんだよ、その膝はよぉ。そうそう何度も喰らうと思うなよ?」
「ぐぬぬぬっ! イズミのクセになんて生意気な!」
貴之は呆れながらコーラのプルトップを開く。
「何やってんだお前ら」
「へいへいへーい!」
腕を激しくクロスさせながらおどけた表情で挑発をくりだす和泉。精悍な顔が台無しである。
周りで和泉を気にしていた女性達も、いささか幻滅しているだろう。
「おい、聞いたかタカユキ! コイツまた姫って言ったぞ!」
「ああ、うん。もういい加減におまえらそのくだりでケンカするの止めろよ」
「くだりでひとまとめに片付けるな! 死活問題だ!」
「死なねーよ!」
和泉もさすがにツッコミを入れないわけにはいかなかったようだ。
「それにコーラ投げてきたんだぞ! カシャってあけたらヴアーだぞ! タカユキもなんか言ってやってよ!」
はいはい、と貴之はシエルの要望を軽く受け流すと、自分のコーラ缶を口に咥えスティック菓子の箱を開く。
「うわ、ガン無視!!!」
「やーい、貴之に見捨てられてやんのー」
二人の会話を意識的にシャットアウトする術を身に付けている、まさに貴之ならではの行動だ。
「君は器用だなぁ」
「んなぁこたない。ほれ」
隣に座っていた了輔は、一連の貴之の行動に感心しながら差し出されたスティック菓子を受け取る。
「うん、美味しい。すまないね僕の分まで」
「まぁ、菓子ぐらいでそんなお礼を言われる事もないけどな」
「いやいや、僕に優しくしてくれる男性というのは意外なほど少なくてね」
ハッハッハと笑う了輔の白い歯は、先ほど貴之が眺めていた日差しとさほど変わらない熱量を含んでいた。男性からすると正直いってややウザイ。
「くそ、やはり頼れるのは自分自身、ついにこの技を使うときが来たようだな……」
貴之にいなされてますます不機嫌になったシエルが物騒なことを言い出す。
「くらえ! ひっさーーーーっつ!!!!」
「うわ、ちょっとおまっ……」
ゴスッ、という鈍い打撃音と共に、和泉は沈黙した。と同時に周囲がざわつき出した。
「雨宮くんのシャイニングウィザードは綺麗に入るものだね」
「まぁな」
「一ラウンド二分三十秒といったところかな?」
了輔の妙に詳しい説明に貴之も曖昧に頷き、あくまで傍観者の顔で勝利者の動向を見守る。
果たして、綺麗に伸びている和泉に跨ったシエルは、コーラの缶をガシガシと振りだした。
「女性が公衆の面前で男性の上に跨るというのは、あまり頂けない図だね」
「そうだな。でもあれにエロスを感じる人間はそう居ないだろうな」
子供達の「ねーちゃんかっこいい!」という声が聞こえるのは気のせいではない。
「それに……ここからが本当の戦いだ」
「なるほど、エクストララウンドがあるわけなんだね……」
貴之と了輔は心の中で少しだけ黙祷を捧げた
「しかし、僕を誘ってくれたことには驚きを隠せないよ」
「まぁ、凪がどうしてもっていうからな。自主練したいってのもあったんだろ? 今年の学祭はまた二人で主演やるみたいだし」
「ぎゃああああああ!!!!!」
和泉の悲鳴がビーチにこだまする。だがそんなことは気にもかけず二人は話を続ける。
「そうだね、今年は予算の都合で合宿もなくなってしまったし」
「そっか、大変だな。春公演、盛大だったからな。やっぱそのせいか?」
「それはあるだろうね。しかし、お陰様で有能な新人が沢山入部してくれてね。三咲くんも少し焦ってるのかもしれないな」
「ふあーーーっはっはっは! 勝負ありだ!!!」
勝ち名乗りを上げるシエルの方をちらりと見た二人の視界の先に入って来たのは、今にも人ごみに埋もれてしまいそうな三咲凪の姿だった。
庄治の投げたビーチボールがあらぬ方へと飛んでいく。それを懸命に追いかける凪だったが――
「あ、いた。……転んだ」
「そして波に攫われていくね」
了輔は、されるがままに流されて行く凪の姿に目を細める。
二人は海辺ではしゃぐ彼女らをなんとなく眺めていたが、貴之が再び話を戻した。
「……自信がないとか?」
凪の焦りという言葉に、去年の合宿の事を思い出す。人一倍自信のなかったあの頃の三咲凪を。
「ははは、それは大丈夫だよ。相馬くんが考えているより、彼女はずっと成長しているよ」
了輔の言葉に、そうだなと貴之も頷く。
「まぁ、三咲君も男性には慣れたとはいえ、自主練で僕と二人きりになるのはまだ無理なのさ」
了輔は少しだけ寂しそうに笑う。
人からの好意を一方的に受けるだけだった彼が、はじめて自分から女性に興味を持った女性、それが三咲凪だ。所詮は演劇のみのパートナーとはいえ並々ならぬ執着心を抱くのも仕方がない。パートナーが自分以外の男に心を許しているという現状は、彼にとってはいささか不満である。了輔はモテる男のレッテルを貼られている校内では有名な人物ではあるが、中身はどこにでもいる誠実な少年なのだ。
だから今回の旅行に凪が自分を誘ってくれた事は 了輔にとって一つのハードルを越えた確証となっていたのかもしれない。
「三咲くんは、僕を演劇の相手とはいえしっかりとパートナーとしては認めてくれている。今はそれだけで十分だと思うんだ」
貴之は黙って聞く事しかできなかったが、了輔の言いたい事もなんとなく理解していた。
互いに言葉を飲み込んでしまった二人の耳に聞こえてくるのは、周囲の喧騒と和泉の呻き声だけだ。
「ところで」
重苦しい空気が漂い始める中、沈黙を破ったのは了輔だった。
「聞きたいことはあるのだが、一つだけ教えてくれないだろうか」
「お前には借りばかりだからな。僕の答える事ができる範囲でなら」
「そうか」
安堵する了輔は、座りなおすと大きく深呼吸をする。
「実は、こんな事を話すのは君がはじめてでね。僕もいささか緊張している」
ここまで真剣な表情の了輔を、これまで貴之は見た事がなかった。ゴクリと息を呑む。
そして了輔は意を決したように、その質問を口にした。
「本当におっぱいってマシュマロみたいに柔らかいものなのかい!!?」
あかねの投げたビーチボールは、抜けるような青空に大きな虹のようなアーチを描いた。
そんな美しい軌道を描くカラフルなボールは、まるで自分の帰るべき場所はそこしかないと言わんばかりに――凪の顔面へと吸い込まれていった。
「ブクブクブクッ……」
仰向けに海へと倒れこんだ少女は、そのまま大きな波に流され、やがて背中から海面にぷっかりと浮かび上がった。
その光景にただただ言葉を失っていた友人達だったが、あかねだけがいち早く我にかえり、溺れる凪へと急いで駆け寄った。海面から凪を引き上げる。
「あ、ああああぁぁぁ! 凪、大丈夫!?」
「だいじょゴボゴボゴボッ」
よろよろと起き上がった凪だったが、あかねの手を握ることもなく再び大きな波に飲まれた。そのままなす術もなく引き波にさらわれていった凪は、周りにたくさん人がいたにもかかわらず誰にぶつかることもなくまるで狙ったかのように月島円の元へ勢いよくすっ飛んでいった。
「うにゅ!」
「おっ…ごっ!!」
円のフリルのついた可愛らしいビキニに包まれたその胸に、凪の頭突きが盛大に突き刺さる。悶絶する円に凪が必死でしがみつく。そこへ三度、自然の脅威が二人を襲った。
「………!!!」
「………!!?」
声なき叫びを上げた二人の少女は、まるで漫画のようにグルグルと目を回し波に揺られてドンブラコ。
「ふぎゃああああ!!」
なすすべもなくその惨事を見ているしかなかったあかねの絶叫が響く。
あわてて二人に駆け寄るあかねを見守りながら、元凶であるビーチボールを拾い上げた庄治は忌憚なき感想を述べた。
「あ、なにこれ面白い」
「お、おぇえええ……」
「うにゅう……」
円と凪を浜へと引き上げた庄治が、正座をして二人に手を合わせ、お辞儀をする。
「ここは天国ですね。ありがとうございますありがとうございます」
「丘村、何考えてる?」
「オウフッ!!!」
円の唇に向かって顔を近づけていく庄治の後頭部に、あかねの蹴りが炸裂する。
「いや、人工呼吸だろ!? 見ればわかるだろ!?」
「あほか!!! ぼーっとしてるだけで二人とも意識あるっつの!!!」
「やだいやだい! アタイ、これ目的に来てんのに天ヶ瀬程度に邪魔されるいわれはなオブッ」
クネクネと身体を揺らしながら庄治は必死に懇願したが、頭にあてられたあかねの足裏は、強烈な圧力で彼の顔面をその願いと共に地中へと沈めていった。
「おぶおぶぶぶ、砂! 砂ぎゅあ!」
「死んでしまえ!」
「ぎぶ、ぎぶぶぶぶ」
湿り気のある砂浜をタップする庄治の手のひらが立てる鈍い音が響き、ようやくあかねはその足をどかした。
「うげえええぇぇぇ……、砂っつか、ど、泥?」
「全く……、ホラ手貸してあげるから立ちなさい」
庄治はあかねの差し伸べる手をつかみ返す。
「……ぷぷっ、こういうところ丸くなったな天ヶ瀬」
かつてのあかねでは考えられない優しい行為に、笑いがこみ上げる庄治だった。
「少しは成長してんのよ、あたしも」
フンと鼻を鳴らすあかねは、庄治のツッコミにも昔ほど動揺することはなかった。貴之と付き合いだして早十ヶ月。どうやら、あかねは今の自分を少しだけ好きになったようだ。
「それにしてもさぁ……」
優しさは嬉しいが、その前の仕打ちはやりすぎだろう。と批難の口に出そうとした庄治だったが、殺気を帯びたあかねの視線を感じその言葉を飲み込んだ。
「うがいしてきなさいよ。あと、貴之からなんか飲み物もらってきて、二人に飲ませるから」
口をモゴモゴさせる庄治に、違う意味を感じ取ったあかねは庄治の脇腹を足でつついた。
「あいあい、わかったよ。ちょっと待ってろって。ぺっっぺっ……泥、マジ気持ち悪いんですが……」
えづきながらも、庄治は貴之達が休憩をしているビーチパラソルの元へ、のそのそと歩きだした。
「頼りにならないなぁ……」
「そ、そんな事もないと思う……一応ここまで私達を運んでくれたわけだし」
額に手を載せ唸っていた円が起き上がりながらあかねへと声をかけた。
「あ、月島さん、もう大丈夫?」
「うん、だいぶよくなった……かな?」
ムクリと起き上がる円。隣に寝転がる凪はよほど水を飲んでしまったのか、真っ青な顔で唸り声をあげていた。
「うう、でもまだ痛い……」
胸をさする円と凪の間に、あかねは腰を下ろした。
「さすがに、人間が人間に突き刺さるシーンなんて始めてみたよ」
寝転がる凪の頭を優しくなでながら、あかねは苦笑した。
「ごべんなざ~い……」
呻き声に乗せて、凪の力ない言葉が発せられる。
「はいはい、もうちょっと寝てなさい。今、丘村が飲み物もってきてくれるから」
凪の頭をポンポンと頭を軽く叩くあかねの仕草は、まさに長年連れ添った友人だからこそ出来ることなのだろう。
「やっぱり幼馴染って、いいよね」
「……え?」
円の呟きに不安げな視線を向けるあかね。
「あ……ち、違う、違うの!!!」
あわてて否定の言葉と共に円はぶんぶんと首を横にふった。
彼女にとっては自然に漏れた一言だったが、その意味を考えればあかねが誤解するのも無理もない。
「今のは、私とタカくんのことじゃなくて、純粋に天ヶ瀬さんと三咲さんの関係っていいなぁって思っただけで、ふ、深い意味とかじゃなくて!」
「あ……」
あかねはそんな風に円に気を使わせてしまった自分自身の態度に幻滅した。
「ご、ごめん、こっちこそ、変な風に取っちゃって……」
天ヶ瀬あかねと月島円はとても仲が良い。
見た目や行動などは真逆のように見える二人だが、その本質は、鏡に映った自分を見るかのようなものだった。
相性の良い人間関係には二通りがある。
一つはお互いの欠点を補える関係だ。自分が持ち合わせないものを求めるのだ。自分では思いつかないことを考え、実行できる人に対して人は憧れを持つ。ましてや、相手がそんな長所を自分の中に見出してくれたのならば尚更だろう。互いを支えあうことでその関係は高みへと上ることができるのだ。これはあかねにとっての凪や貴之との関係、円にとっては貴之やシエルとの関係だ。
もう一つの相性の良い人間。それは自分自身と同一タイプの人間である。同じ出来事を同じように体感する。そんな同一の感性を共有することは中々に困難である。人は同じ事象に向き合った時、その本質をいくつもの面から理解する。様々な感性が向かいあう多角性の一面が他人とぴったりと合うなど、本当に稀な事なのだ。
あまりに自分と似た者に出合った時、人は安堵するのか。それとも不安になるのか。
あかねと円は、言葉にするまでもなく互いの気持ちが分かってしまう事が多々ある。そのせいか、喜びだけではなく悲しみまでも共有してしまう。二人にとってそれは諸刃の剣。二人の間に心の壁は存在しない。しないがため、丸裸の感情のぶつかりあいになってしまう。同じ少年を好きになった者同士、譲れない一線が存在する二人にはそれは嬉しいことであり、やはり悲しいことでもあった。同じ人を好きにさえなっていなければ、もっと心を近づけることが出来たのだろうか?
貴之を通して出会ってしまった二人にとって、貴之の存在しない話は無意味であるのに。
「う、ううん。こっちもちょっと考えなしで喋りすぎた……ごめんね、天ヶ瀬さん」
「え、あの、そんな月島さんが謝ることじゃ……」
黙りこむ二人。意思疎通が出来る、いや出来過ぎる二人だからこそ陥る罠だ。お互い、名前で呼び合えない理由もここにあるのかもしれない。少しでも壁を作っておかないと、自分達が深みにハマってしまうことを直感しているのだろう。
いやだ、この時間はいやだ。早く、早くなんとかしなければ。
あかねと円は、歪みゆく空気を修復しようと必死になったが、必死になればなるほど気持ちは空回りし、どうすることも出来なくなっていった。
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